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「金盞」はキンセンカか、それともスイセンか?

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庭のスイセンが咲き出したのは1週間ほど前のことである。
例年に比べると随分早い開花だ。
これはニホンズイセンに良く似た別の品種だから、
比較するのは乱暴かもしれないが、
ニホンズイセンの開花の平年値は、九州などの温暖地で12月下旬で、
日本の西部の多くでは1月から2月となっている。
東北や北海道などの寒冷な地方では、3月から4月とさらに遅い。
我が神戸では2月3日となっているから、
今年はかなり早く咲いたことになる。
ところが、二十四節気七十二候では立冬の末候(新暦の11月18日頃)が
「金盞(きんせん)香(さく)」となっている。
金盞とは今で言うスイセンのことだそうだ。
古い暦が教えるように、早咲きではなく、
ほとんど時期を違わず開花したことになる。
とはいえ、現代では11月中旬にスイセンの花が咲くのはかなり稀なことであろう。
では一体なぜ、七十二候という古い暦にそう書き記されているのだろう。
その不思議を、以前に、二十四節気と植物の講演で
話題のひとつにさせて頂いたのだった。
以下がその要約です。興味のある方はお読みください。
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 立冬の末候(11月18日頃)は、七十二候で「金盞(きんせん)香(さく)」とある。多くの文献で、七十二候の「金盞」はスイセンのことだとされているが、気象庁によるスイセンの開花平年値は、最も早い地域で12月10日前後であり、多くは年末から年明けとなっており、暦と実態がそぐわない。このことから、七十二候の金盞がはたしてスイセンを指すのか疑問である。さらに、スイセンの開花日は年により大きな遅速がみられ、自然暦の指標植物として適切な種ではないように思う。
 スイセンの日本史上で最も古い記録は、平安時代末期の九条良経(1169~1206)が描いた色紙だとされ、15世紀以降は各種文献に登場するようになる。室町時代、スイセンの最初の記録は、東麓破衲の漢和辞書『下学集』(1444)の早木門において、漢名を「水仙華」、和名を「雪中華」と紹介した記述であり、「金盞(きんせん)」は水仙の異名として使われていたようだ。金盞は正しくは「きんさん」と読み、剣状の葉の間から伸びる花茎の先につく白銀を思わす白い6枚の花冠、中央を飾る濃黄色の盃状の副花冠から水仙の花の咲く様を「金盞銀台」いうのである。
 一方、花壇に植えたり切り花として良く使われるお馴染みのキク科のキンセンカは、花が黄金色で盞(さかずき)の形をしているから「金盞花」という。また、隋の統一前の梁の魚弘という人が賭けすごろくに勝ち、 金銭よりも珍花を求めたので、かの花が「金銭花」と呼ばれるようになったともいう逸話もある。その後「金銭花」が「金盞花」に転化したのだそうだ。
 キンセンカの属名はカレンデュラ(Carendula)で、ラテン語の「毎月の第1日、朔」に由来している。月の初め、転じて1ヶ月を指し、1ヶ月もの長期間咲き続ける、毎月朔日に咲くなどの諸説ある。また、10月から5月と花期が長いことから、「冬知らず」とも呼ばれる。カレンジュラは欧米ではポットマリーゴールド(聖母マリアの黄金の花)の名もあり、。南ヨーロッパの地中海沿岸地方原産で、江戸時代の末に中国から渡来した。
 さて、暦学者の渋川春海は、貞享改暦(1684)で「本邦七十二候」を編纂し、これでは二十四節気の大雪末候を「水仙開く」とした。これなら12月下旬頃だから、現在の開花の状況とさほど違和感はないだろう。ところが、宝暦暦以降では大雪の末候は「鮭群がる」に変更され、替わって立冬末候は「金盞(きんせん)香(さく)」となり、「水仙開く」は消えたしまった。金盞はキンセンカなのか、それともスイセンなのか、宝暦暦の改暦がその謎を解く鍵のようである。

撮影:2011.11.23 / TAMRON SP AF Di 90㎜ F2.8
*クリックで画像は少し拡大します。
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by escu_lenta_05 | 2011-11-28 18:59 | 季節
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