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「多い」ことの錯覚




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元々山野で暮らしていたのに、都市に住み着いた野鳥がいる。
ヒヨドリ、キジバト、ハクセキレイ、カラスなどなど。
中でもカラスは大都市のゴミを荒らす厄介者である。
ハシブトガラスは元来森林に生息していたが、
餌(ゴミ)が豊富でビルが林立する都市が、古里の谷間に思えるのか、
すっかり大都会に安住してしまったのである。

メジロもこうした都市生活者の仲間入りをしてしまった。
低く刈り込まれた頻繁に車の行き交うシャリンバイやサザンカの街路樹がお気に召したようだ。
ここなら、細かく複雑に小枝が入り組んで、天敵も入り込めす、人目も避けられるから、
安心して子育ても出来るのである。
街の中心を少し外れたお寺の柿の木に群れる小さな鳥陰もメジロだった。
すっかり熟した柿の実を盛んに突いている。40、50羽はいそうである。
きっと、近くの街からやって来た群に違いない。

このメジロの大群を見て、野鳥が増えて自然が豊に保たれていると錯覚してはいけない。
視野を広げて眺めれば、鳥は確実に減っているのだから。
特定の種を保護し、管理している保護区に行けば、
タンチョウヅルも、マガンも、ハクチョウ達も群で見ることが出来だろう。
そこには、おこぼれを求めにやって来たカモ類などの他の野鳥も結構集まるから、
鳥は結構無数にいるもので、案外易々と見られるもどだと錯覚してしまう。
鳥の数をマスとして見てみるのであれば、
このような管理された場所や、カラスなどの都市鳥に限れば、
鳥達の数は一見多いのである。

だが、種の多様性として眺めると鳥は確かに減っている。
保護・管理された特定の種や、上手く都市に住み着いた都市鳥など、
一部の野鳥だけが突出して数が多くても、真に野鳥が増えた事にはならないのだ。
その地で見ることの出来る野鳥の種類が多くて、それぞれの種の数(個体数)も多いのでなければ、
本当に野鳥の多い環境とは言えない。即ち、「種の多様性の豊かさ」が問題なのである。

年々、目的の野鳥達に出会えない日の多くなる私のフィールド。
競争相手の少なくなった街と森の境で、見事に熟した柿のみを独占するメジロの大群群を見て、
つい、「多くない野鳥」のことを考えていた。
[Nikon D2X AF-S ED600mm F4DⅡ+TC14EⅡ]



by escu_lenta_05 | 2007-01-21 07:03 | 野鳥
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