三橋鷹女に次の句がある。
「枯色を被て枯色に紛れ込む」
そのまま読めば、枯草色に染め尽くされた一面の枯野の風景が浮かび上がる。
褐色の寂しい冬ざれが見事に表現された秀句だとすんなりと納得する。
しかし、この人が自立と奔放の作風で知られ、
「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」
と読んだ、古い道徳観に縛られない戦後派の女流俳人であったことを思い出す時、
枯色を被ているのは枯草などでは無いと理解する。
俄に、そこが枯野に紛れる逢瀬の風景に一変する。
改めて野の枯草を見てみよう。
それは、ただ寂しく憂いに満ちた「死せるもの」などではなく、
妖艶な匂いすら漂わせる「生々しいもの」に見えて来る。
詩人の言葉の魔力に改めて驚かされるのである。
[Nikon D2X AF-S ED600mm F4DⅡ+TC14EⅡ]