人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

Colocasia's Photo World

colocasia.exblog.jp

梅と鶯の懐

梅と鶯の懐_e0089532_895233.jpg

「梅に鶯」は、牡丹に蝶や、紅葉に鹿などとともに植物と動物の定番の取り合わせである。
我々庶民の食べ物で言えば、カレーと福神漬け、トンカツと千切りキャベツのように、
無くてはならない組み合わせとして、脳裏にしっかりと刻み込まれている。

しかし、ボタンの花に蝶が蜜を吸いに来ている姿を見た人がどれだけいるのだろう。
紅葉を踏み分けて歩く鹿の姿に出会った人がどれだけいるだろうか。
大体、ボタンはほとんど香りはしないし、蜜を出して昆虫を呼ぶ仕組みの花でもはない。
あの真黄色の巨大な花心で虫を惹き付けているのだ。
ここには大量の花粉があって、花粉食のハナムグリなどの昆虫がやって来て、
しべに潜り込みモゾモゾしている間に見事受粉をして貰うのである。
だから、最初からボタンは蝶をお相手と思っていないのである。
鹿にしても、若草山の神鹿のように、芝や背の低い笹原で餌を食べている姿の方がずっとお似合いのような気がする。

梅に鶯もこれと同様、日本画などの意匠として数多く描かれているから、
いかにもそれが当然の生態であるかのように刷り込まれてしまっている。
一体、どれ位の人が梅の花の咲く枝先に止まっているウグイスを見たことがあるのだろう。
ウグイスは、高い木の枝などに止まり盛んに鳴いて縄張りを宣言する繁殖期を除けば、
笹原や低木の枝の中などの薄暗い所をちょろちょろ行き来するのを辛うじて見る位だ。
「チャッ、チャッ」という笹鳴きが薮の奥で聞こえるのが関の山である。
「ホーホケキョ」と美声で鳴き始めた鶯が、鑑梅楽しむ人の目の前に警戒心も無いまま
姿を現すのを見ることが出来るのは余程幸運な人だけだろう。

日本の「梅に鶯」の伝統は、中国からの移入文化であったようだ。
中国の古い漢詩「梅花密処蔵嬌鶯」に発想した、葛野王の漢詩集『懐風藻』にある
「素梅素靨を開き 嬌鶯嬌声を弄ぶ」によって、梅に鶯は詩のモチーフとして
万葉集を始めとした和歌などにも数多く登場するようになる。
だが、その元となった中国の鶯はコウライウグイスのことで、
日本のウグイスとは色彩も異なる別種だったのである。

私たちが最も良く目にするのは、寧ろ「梅にメジロ」ではないのだろうか。
今を盛りの梅の花にまみれて、枝から枝にへ飛び移るこの鳥の色の何と映えることか。
そうだ、それこそ鶯色。試しに色彩図鑑を見比べてみよう。きっとそれはあの薄汚れた
灰褐色のウグイスの羽色などではなく、濃い黄緑色のメジロの羽色そのものだ。
やはりそうに違いない。古代の詩人達は、梅の蜜に集まるメジロを鶯としてしまったのだ。
唐の文化をこぞって模倣した人たちは、頬を花粉で黄色に染めて満開の梅の花に群れ集う鳥を、
メジロと知ってか知らずか、鶯以外の何者にも見えなかったのだろう。
注:写真は梅とメジロですよ。念のために。
[Nikon D2X ED70-180mm F4.5-5.6D]

人気blogランキングに参加しています。一日一回クリックして応援してね。
  ☆あなたの貴重なワンクリックで、10ポイントが加点されます。


by escu_lenta_05 | 2007-02-24 08:11 | 野鳥
<< ワーズワースの水仙 志士の春雨 >>